
第6回 昭和47(1972)年3月 筑豊本線 中間−筑前垣生 P:筒井俊之
第6回の表紙は、有蓋貨車をお休みして、名古屋にお住まいの吉田さんのリクエストにお答えすることにします。
そのリクエストは、「北九州地区の石炭列車を」というものでした。
昭和47(1972)年頃の筑豊本線は、まだまだ頻繁に石炭列車が走っていたが、2軸車は既に、ほとんどがセラ1形になっており、W型側面の編成美を誇っていた。写真ではD60 61[直]の次位に珍しくセム6000形が入っているが、次々位以降は、見える限りセラ1形である。
セム6000形は、昭和14〜16(1939〜41)年に1246輌が製造された。準戦時型として構造の簡易化を図り、底扉の開閉機構をレバー式としたため、底扉の開閉方向が線路と直角になり、これ以降の近代型2軸石炭車に踏襲されるW型側面形態を持つこととなった。
セラ1形は、昭和32〜40(1957〜65)年に4129輌が新製、あるいはセム4000・4500・6000・8000形から改造された。車体は戦後型標準2軸石炭車であるセム8000形のホッパ上部を垂直に延長したものである。
双方とも、車体構造が2段リンク化改造に不適格であったため、65km/h走行の“ロ”車指定を受け、黄帯を巻いてこの地方を中心に運用された。