
第7回 昭和47(1972)年3月 筑豊本線 中間−筑前垣生 P:筒井俊之
第7回の表紙は、第6回に引き続き、北九州地区の石炭列車を取り上げます。
第6回と同じ日のほとんど同じ場所での撮影であるが、こちらには2軸ボギー石炭車が組み込まれている。写真ではD60 34[直]の次位・4・5・7〜9輌目にセキ6000形、2・3・6輌目にはセキ1000形が見える。以降の2軸車は、10〜15輌目にセラ1形、16輌目〜はホラ1形である。
セキ1000形は、戦前の標準型石炭車で、昭和4〜19(1929〜44)年に1480輌が製作された。
セキ6000形は、戦後の標準型石炭車として製作されたセキ3000形の走行性能を改善するために台車枕ばねを柔軟なものに交換したもので、昭和43〜45(1968〜70)年に1509輌が改造された。セキ1000形との大きな違いである、台車・側扉の補強の増加が写真からも見て取れる。
ホラ1形は、北九州地区のセメント輸送用の増備として昭和35(1960)年に18輌が製作された私有貨車で、外観・構造はセム8000形石炭車に別体の屋根を取り付けたものであったが、写真では既に屋根を外されて石灰石輸送に転用されていた。冒頭で“石炭列車”と書いたが、北九州地区では、地上設備の関係で2軸ボギー車が使われていなかったこと、セキ1000形の足回り・妻板内側が白いことからも、本列車の主搬送物は、石灰石であったと判断できる。
●参考文献 吉岡心平のホームページ「外観研究室」【特別編67】ホラ1形18